2019年7月28日に稲城フェスティバルに出させて頂いた
チーチー☆ビアンカ として初めてのステージ
下手なギターを頑張るより歌うことに集中したかった為、
全てDTMで伴奏曲を作り直してカラオケする形で挑んだ
心臓
此岸
命徒
五文字
を20分間の持ち時間の中で披露
正直、この舞台を踏むことで一皮脱ぎ
過労うつと決別をしようと心に決めていた私は
前日までのひどい雨で気が気ではなかった
多摩レクリエーションなんちゃらという、米軍がゴルフとかを楽しむ為の無駄スペースで行われる野外イベントで、ステージにはトラック内なのでひさし程度のものがあったが、客席は野ざらしの芝生
しかし、私の祈りが天に届いたのか、当日は奇跡的に晴れ!
ところが、それは悪夢の始まりでもあった、、
気温が急激に上がり、出演者と実行委員を一人でこなさなければならない状況で、テント設営などを手伝ううち、経験したことのないような頭痛に見舞われた
それまで、河原や貸しスタジオで連日のようにリハーサルを行い、曲間のトークなんかもみっちり詰めてきたのに!
母と義父、ばかりか、高校時代からの友人も駆けつけてくれた
弱音を吐いていられる状況ではない
スタッフの人が背中に打ってくれた火打ち石に私の心は勇気付けられた
2015年にブラック企業への出向が終わった日、豊川稲荷に駆け込み
そこで数珠を買ったのだが、その時、打ってもらった火打ち石
神仏の存在を近くに感じた
ステージ前にカメラを設置し
歯を食いしばり、割れそうな頭でステージに立った
せっかく用意したボイスレコーダーのスイッチを入れそびれて頭が真っ白になる
途中、歌詞が飛んだ部分もあった
でも、自分の気持ちを出し切れたステージになったと思う
悔いはない
自分の番が終わっても、会場をバラすために残らなければならなかった
フェスと銘打つだけあり、アメリカっぽいバーガー類を注文することができた
しかし、食欲などあろうはずはない
閉幕となり、会場をバラし、その後に打ち上げという話だったがもはや無理だった
帰って寝込んだ
高熱が出て、眼病になった
そして、、
声が全く出なくなった
日常会話すらままならない状況が1週間以上続いた
サービス業なので本当に困った
じきに声は戻ったが、かすれ声のまま
特に歌える音の幅が極端に狭まり、歌がうたえない
その状況が8月後半まで続いた
初めて声を失ってみて、本当に恐怖だった
もう一生歌えないかもしれない、と思い悩み
あんなステージに立たなければよかったと後悔した
再び歌えるようになっても、稲フェス前とは確実に喉が変わってしまった
声が悪くなったとかむしろ良くなったとかは分からないが
稲フェス後つくった歌では低音を意識するようになり、
自分でも神経質と思うほど喉のケアに気を遣うようになった
声が出ることが当たり前だと思わなくなったことは収穫だったとは思う
再び歌えるようになった、と感じたのは
8月後半に岩手県一ノ関市にある祖父母宅に顔を見せたついでに
平泉中尊寺に訪れたのだが、その帰り道でのことだった
安堵のあまり、歓喜の声を上げた
ここでも、神仏の存在を近くに感じた
その後もちゃんと歌えるようになるまでリハビリが必要で
2019年は大変な年になった
これからも声あることに感謝して歌っていきたい
コロナ禍も関係してその後ライブ活動は行えていないが
次は下手でも弾き語りライブにチャレンジしたい!
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