制作時期:2020年4月~5月
歌・映像・出演:チーチー☆ビアンカ
撮影場所:町田市、相模原市、愛川町
私がどん底にあった4年前、季節において行かれた感覚を味わった。例えば焼土と化した街に立ち尽くすように、私もいつの間にか過ぎ去った季節の中で立ち尽くしていた。その時、焼土と化していたのは私の方だったが。
職場では先を見ろと言われながら仕事が山積みのデスクに縛り付けられていた。季節において行かれながら、自分が年を取っていくことにも気付かない。視野の狭い人達が手元ばかり見ながら目指していたその「先」というやつは一体何だったのだろう。
4月に新型コロナウィルスの為に非常事態宣言が出されてから、バイト先も学校も休みとなり、さらに先の見えない暮らしが始まった。とはいえ、先が見えないのは考えてみれば当たり前だ。見えないものを見ようとしても仕方がないと思う。それより、見ているのに見えていないものを見た方がいい。あの頃、肩を叩かれたところで私は気付かなかっただろう。一瞬の季節の移ろい。そのメッセージ。
そう考えてこの作品をつくり始めた。
散歩しながら詞を考え、河原でギターを弾いてメロディを付けた。普段は音楽スタジオを借りて録音(※機材はボイスレコーダーだけなので密閉された楽器 OKな空間ならどこでも良い)するのだが、どこも営業自粛でやっていない。近くに河原がなければギターの練習すらできない。こんな状況が訪れるとは思いもしなかった。私のように自宅で演奏できない人は多いと思うので、問題だと思う。創作を我慢しろと強いて当たり前の世の中というのは。感染リスクはこれまでもあったのに何もして来なかっただけだ。これからはあったものがさらに高い頻度で変異すると考えて、国は娯楽や芸術に関する施設の営業のあり方について検討し、ガイドラインを出すべきだ。今のように事業主の判断に任せてばかりいるのは責任放棄であり、ますます不自由で閉鎖的な世の中になってしまうと思う。
幸い実家での録音が許され、撮影に関しても車での送り迎えを協力してもらい、三密を避けて作品づくりをすることができた。その間、長いこと居候させてもらった。母は人生は長いんだから、と励ましてくれ、その言葉を今回の歌に盛り込んでいる。
田んぼ道での撮影ではめげそうになった。初夏の農道の交通事情についての認識が甘く、あれほど車通りが多いとは思ってもみなかった。さらに当日は道路からの照り返しが強く、高温多湿。車待ちと暑さで集中力が切れ、リップシンクのミスを連発。長期戦になってしまった。そんな中、通行人の方に暖かい声を掛けていただいた。撮影スポットを教えて下さる方もいて、そういうネットに上がっていないだろう情報はとても嬉しい。作品に使えるか否かは別として、わざわざ教えてくれるということはその人にとって心動かされた場所だということ。それはとての興味深い。その他、森や商店街での撮影でも話しかけてくれる人は、これまでで一番多かった。自粛、自粛と言われている時に人のいない場所を狙ったとはいえギターを弾きながら撮影なんかをするのは不謹慎めいていると自分でも思わないことなかったのだが、こんな時だからその行動が目立ったし、いつもなら通り過ぎてしまう人が足を止めたのだと思う。ミュージックビデオの制作はライブで人に見せるものではないが、まったくそうでない訳でもない。大人がお金にならない創作活動を本気でやる姿を見せる意味はどこかにあると思う。それがロケの醍醐味であるとも思う。
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