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東京擦過傷(Tokyo Scratch) 2016 制作後記

執筆者の写真: チーチー☆ビアンカチーチー☆ビアンカ

更新日:2020年6月1日

制作時期:2016年11月〜12月

歌・映像・出演:チーチー☆ビアンカ

撮影場所:東京都内(五反田・六本木・歌舞伎町・赤坂・大崎・お台場・蒲田・新橋・新宿郵便局前・恵比寿・渋谷・麻布台・その他多摩エリア)




2016年夏、私は出向先のテレビ制作会社で過労うつになった


いくつもの案件を抱えながら、ことごとく良いように使いっ走りにされ、帰れない

夜は実費で健康ランドや漫画喫茶を転々とし、体だけ洗って2〜3時間滞在したら朝になってしまった 朝になったら近くのドンキで服を買い、出向先のトイレとか非常階段の踊り場で仮眠をとった


また、何もかも勝手の違う場所で分からないことを聞くと怒鳴りちらされ、特にプロデューサーとチーフADから深夜早朝問わず脅しの電話があり、精神的に追い詰められていった


それだけでもひどかったのに、PC等を紛失する事件があり、それは私の落ち度ではなかったにも関わらず、罪を被せられた 警察署やタクシー運転手に毎日電話をさせられ、報告させられたが、今思うと、それはただの嫌がらせで誰か出向先の人間が盗んだのだと思う 社内での盗難は日常茶飯事だったから


出向先での出来事を会社の上司に報告しても、全く力になってくれなかった


母や友人には仕事を辞めろと言われていたが、洗脳され、睡眠障害になり、自殺願望のあった私はまともな考えが何一つとしてできなかった 強迫的に辞められるわけがないと思っていた 辞めるのが怖かった 逃げるのが怖かった


この地獄の出向はわずか3ヶ月で終わり、私は会社に戻りそれから1年働いた 出向先のプロデューサーからは紛失物の件を口実に半年くらい嫌がらせのメールが届いたが、上司に報告しても動いてくれず しかしそのうち、紛失物にタレントのデータが入っていたことから会社対会社の話になり、役員とかが話し合いをして何かが解決された


私には誰も謝らなかったし、結局私が悪いままにさせられた


五反田、新宿、お台場等、都内各地を走り回り、涙を流した

私が受けた心の傷は私が話さなければなかったことにされてしまう

悪魔の開けた口の中のような東京で、例えば高橋まつりさんは死んでしまった

誰が代わりになってもおかしくないのに、死んでしまった


だから、私はできることを、私は歌がうたえるから、歌でこの経験や感情を後世に残そうと思った


大学生の時にギターを始め、歌い続けてはきたけど、自分自身のことを歌うことは初めてだったから、チーチー☆ビアンカという名前で活動をスタートすることにした


うつ状態がひどかった時には指先から想像力や創作意欲が蒸発していく感覚があった だから再び歌えるようになったことは奇跡だし、この経験をしなければ生涯「本物」の歌をうたいたいと願うことはなかったかもしれない


このミュージックビデオは東京各所を回ってゲリラ演奏する様子を撮影したものだ 全て一人で行った 特に、出向先に近い五反田では動悸がし、新宿の路地ではネズミが怖くてパニックになりかけた(そのネズミは映っています) 大崎警察署の前では立ちんぼしている警官のすぐそばでギターを弾いたのに一切何も聞かれず、まさに奇跡だ


撮影も編集も不慣れだったから素朴な作品だが、これがチーチー☆ビアンカの原点であり、他の作品とは比べようのない愛着がある これからも、この先も


 2020年5月23日 チーチー☆ビアンカ



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