私にとって母は母であり、姉や友達のような存在だった
両親は私が中1の頃に別居離婚し、私はその後母と二人きり生きてきたのだが
自宅でアニメーターをしていた母は一人っ子の私に孤独を感じさせることなく育ててくれた
母の真似をするのが楽しくて、絵が大好きだった私は芸大に入りたいと言い、
高校時代は予備校通いに明け暮れ、結局現役合格で大変学費の高い私立美大に入学した
それをちゃんと感謝できていたら、就活しただろうし、卒業後働きたくなくて一年引きこもることもなかっただろう
ようやく働き始めたと思ったら、その映像制作会社がブラックでさらにブラックな制作会社に出向させられることになってしまう
その時には一人暮らしをしていたが、残業がありすぎて自分の家に帰ることもできない
新宿の24時間スパなどで入浴をし、ろくに眠らないで五反田の事務所に戻る日々
出向先の人間とも上手くいかず、昼夜問わず暴言や脅迫を対面で電話口でされ、私の精神バランスは崩れていった
深夜の繁華街を歩きながら母に電話するのだが、いつも泣いていたし、ネズミを見かけては恐怖のあまり絶叫してしまう、、母は仕事を辞めるべきだだの、もう行かなくて良い、など説得してくれるのだが私は聞く耳を持たなかった
私の地獄の日々は母にとっても同じだったと思う
私はその後、5年経って恋人ができるまで、母が私を無理矢理にでも連れ帰ったりしてくれたらもっと早く自分の病に気付けたし死のリスクがある中での過労を打ち切りにできたのにな、と心のどこかでモヤモヤしていた
しかし、口や手を出すより黙って見守ることの方がどんなに苦しいことか今は分かる
口や手を出してしまうのは相手のためというより自分の気持ちが落ち着かないからだ
一人の大人として見ていないですよ、と相手に言っているにも等しい
見守ることは愛だった
愛しているなら見守る時間が必要で、それに耐えられなければ相手から愛される資格がないだろう
母は身をもって教えてくれた
ありがとう、それしかない
これは母へ贈る歌
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